読書・本

日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか 第三章

2011年09月17日
第三章は『世界が讃える日本人の勤勉』です。

章全体を通じて、日本人は好奇心が強く、学問にも仕事にも勤勉だということが書かれてました。

日本人は勤勉だというのはよく聞きますが、好奇心も強い国民なんですね。
どなたの言葉か覚えていませんが、幕末に日本にいらした西洋の方が、『日本人は好奇心が強く、頭もよい。この人たちが本気になったら、我々はひとたまりもないだろう。』と言われたことを思い出しました。

この本にも似たようなことが書かれてました。日本の底力に警戒心を持った方が複数おられるようです。

日本人は辛抱強く、理性に従うとあります。これは震災のときにも言われたことですね。もしかすると災害の多い国だから、辛抱強く、理性を持ち、勤勉でないと生き残れなかったのかもしれません。そうでない人たちは自然淘汰されてしまったのかも(全くの私論です)。

日本の教育は、ことばでしつけるものだ、とも書かれています。昔から識字率が高いともあります。江戸時代、算術を楽しんでいたようですし。今でいうゲームのような感じでしょうか。
でも現在の日本の教育には問題が山積しています。教育こそ国の根幹をなす物ですから、もう少し(いえもっともっと)なんとかしなければならないと思います。

また、礼儀正しく、和を重んじるとあります。『和』は聖徳太子に起源があります。
『仁義礼智信』の教えが入ってきたときにも、日本では『和義礼智信』に置き換えられたとか。
例えば、人力車でぶつかっても、ぶつかった方はもちろん、ぶつかられた方も、謝っているとあります。別章だったと思いますが、足を踏んでしまっても、踏んだほうも踏まれたほうも謝る、と。踏んでしまってごめんなさい、踏まれるようなところに足を置いてごめんなさい、ということらしいです。
さすがに踏まれても謝ることはないですが、『いいよ、いいよ、大丈夫』という気持ちでいますよね。
花火大会の屋形船でも同じことがある、とあります。

人力車の話に戻りますが、よく見ると、道端の小動物をちゃんとよけて走っている、動物にまで気を配っていることに驚いたとありました。
もしかするとこれは、生類憐れみの令に起源があるのかもしれません。この令は行き過ぎた感が否めませんが、人や動物を慈しむ心を持つきっかけになったとも言われているようです。

この章で一番印象的だったのが明治以来の日本を、ドラッカーが『日本が西洋化したのではなく、西洋が日本化したのだ』と表したというものでした。日本は明治になって、社会システムを輸入したけれど、輸入前から日本独自の西洋に勝るとも劣らないシステムがあった、ということらしいです。

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